農山村地域経済研究所 新庄支所から

豊かな自然と宝物がいっぱいの農山漁村が、全国各地にあります。この村々を将来の世代に残そうと、一年の半分以上を農村行脚しながら、村づくりをサポートする楠本雅弘という先生がいます。これは先生の応援ブログです。

手仕事 てしごと 「豊かさ」ってなんだろう? 3

 ◇金寛美さん「舟形焼きと長沢和紙」
  大学時代から取り組んでこられた陶工から、自分の住む舟形で発見された「縄文のビーナス」に触発され、縄文土器を現代に蘇らせた「縄文の七輪」。そして800年の歴史を持つと言われる舟形の長沢和紙は安いパルプ紙の普及により販路が断たれ、楮の確保困難から昭和39年に一時途絶えました。これを復活させたのですが、その後継者不足から再度、消滅の危機にあります。これを今引き継ごうとしています。

LEXUS NEW TAKUMI PROJECT縄文七輪

長沢和紙 小学生の体験学習から(舟形町HPから)

<つづく>

手仕事 てしごと 「豊かさ」ってなんだろう? 2

 ◇高橋伸一さん「工房ストローの一年」
  20年ほど町役場職員として活躍の後、昨年退職、帰農した。これまでの農家の日々の生活の中に価値を見出し、その中で藁細工もその一つ。彼の生き方にも感動しました。

 藁細工の多様さに驚くとともに、その芸術性にも驚かされます。右は「ホタル籠」、結城さんによるとこれとほぼ同じようなものが韓国にもあるそうです。韓国ではヨチチブ=「キリギリスの家」と言うそうです。民芸の普遍性を感じます。

<つづく>

手仕事 てしごと 「豊かさ」ってなんだろう? 1

 3月25日(土)に開催した「雪調に学ぶ会 第7回」には、約90名の参加を得て、盛会のうちに終りました。
 今回は、手仕事に携わる4名の若手の実践報告と民族研究家の結城登美雄さんの手仕事に関する講演、そしてこの5人によるパネルディスカッションでした。
 ◇コミューンアオムシの星川一宏さん。「ペリアンの寝椅子の復元経過について」
  1940(昭和15)年に輸出工芸指導者として来日し、新庄・最上の農民に作成依頼したとされる(不明な点は多いのですが)「シャルロットペリアンの寝椅子(実物は現在山形県立博物館に所蔵)」を現代に蘇らせようとする取り組みです。全然古くないですね!!


寝椅子(1941):これを復元しようとしています。

竹製シェーズ・ロング(1940)

シェーズ・ロング(1928) 寝ているのはペリアンです。

<つづく>

内側からの農村再生を!!  森先生からの贈り物

 昨年の8月6日に、私たちが行っているサークル「ゆかいな勉強会」で、私の恩師、森武麿先生が講演してくれましたが(その報告は、以前ブログに書きました)、その時の講演のレジュメを元に原稿化してくださいました。

 「戦前農村経済更生から現代農村再生へ ―農村経済更生運動の歴史的教訓ー」(2017年2月 『歴史と民俗』神奈川大学日本常民文化研究所論集33)

 論文の「要旨」の部分を紹介します。

 「戦前農村更生は上からの農村再生(国家主導型)、外からの農村再生(外発型)であった。この弱さが農民を戦争とファシズムの道に導いた。現代の農村再生は下からの農村再生(自治型)であり、内からの農村再生(内発型)であることが求められる。すなわち「上から」と「外から」の農村更生から、「下から」と「内から」の農村再生に転換しなければならない。特に思想転換は、戦前の農本主義を克服し閉じた共同体から開かれた共同体へ、持続可能な地域社会、都市住民の田園回帰も含めた都市と農村の共同社会の建設が目標であろう。」

 当日は、簡単なレジュメを準備するとの事でしたが、12ページにもわたるもので、到底2時間の講演では終わるものではなく、場所を居酒屋に変えて、私達と語り合いながら、本当に熱のこもったお話をしてくださいました。

 興味を持たれたら、お読みください。農山村の再生を考え、実践していく参考書にしていただけたら嬉しいです。

お知らせ 「第7回 雪調に学ぶ講座」

 私の住む新庄には、<セツガイ>または<セッチョウ>と呼ばれる風変わりな建物があります。この建物は、建築学者考現学(考古学に対する)の提唱者として知られた今和次郎が設計し、1937(昭和12)年に建築されたもので、「農林省積雪地方農村経済調査所」と言いました。現在は「雪の里情報館」として保存・活用されています。

 昭和農業恐慌、度重なる凶作などで疲弊・窮乏していた東北(積雪地方)の農山村の調査・研究・指導機関として設置されたものです。

 この施設に数多く残る遺産を見直し、活用することで私たちの住む東北の農山村の再生について、考えていきたいと活動しています。

 興味を持たれたら、是非参加してみてください。交流会では、最高の米、最上の郷土料理、そして最高のドブロクも飲めますよ!!!


第7回 雪調に学ぶ講座
―東北のてしごと、最上のてしごと―

雪調(積雪地方農村経済調査所(昭和8年~22年、現「雪の里情報館」)の遺産を次世代に引き継ごうと始まったこの講座も7年目をむかえました。
今回は、雪調でおこなわれた農家の副業としての「民芸の活用」を振り返り、てしごとの現在とこれからについて考えてみたいと思います。最上に足元をさだめ、地域にねざした活動をしている若き三人の工人を迎えて「土着の美」について熱く語ってもらいます。 

日時     平成29年3月25日(土)PM1:30~9:00
場所     新庄市「山屋セミナーハウス」(学習会・交流会・宿泊)
       新庄市金沢3036-2 ☎0233・22・3527
内容 (1) 報告と提案。(13:45~14:30)
   ◆ぺリアンの「寝椅子」復元経過について(星川一宏氏・コミューンあおむし)
   ◆工房ストローの一年         (高橋伸一氏・工房ストロー主宰)
   ◆舟形焼きと長澤和紙        (金 寛美氏・舟形焼わかあゆ薫風窯)

   ◆青苧(からむしおり)      (高橋里奈氏・大江町地域おこし協力隊)
   (2) 講演(14:30~15:30))
       結城登美雄氏(民俗研究家)
        「てしごと―過去から未来へつなぐ」
       鼎談 (15:30~17:00)(結城、高橋、金、髙橋)
        「てしごとは、最上にあり」
   (3)俺にも言わせろコーナー(17:00~17:30)
   (4)交流会(6:30~9:00)
参加費  学習会(1000円)・交流会(2500円)・宿泊(朝食付2000円)
主 催  ネットワーク農縁
共 催  最上の元気研究所・雪調アカデミア準備会・ゆかいな勉強会
協 賛  手仕事フォーラム・はちべえの森山林資源開発研究所
申 込  ネットワーク農縁・佐藤まで

震災から6年

 昨日で、震災から6年が経ちました。

 毎年思うことですが、いつも「無力感」を感じます。やはり「他人事」になっています。「自分の出来る範囲内で、協力すればいい」とは言うものの、本気で覚悟を決めてボランティアや復興事業に取り組んでいる人たちのことを考えると、何をしているんだろう、と煩悶してしまいます。

 先日(3~4日)、金華山支援ボランティアをしている押切さんの誘いで、肘折国際音楽祭のボランティアをしてきました。押切さんたちは当日も、金華山から駆けつけていました。とことん「裏方」に徹して、手伝う姿はいつも感動してしまいます。

  (下の写真は、金華山への参道です。まだまだ、道半ばです。) 

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そして5日に、かつて甲子園で勇名をはせた『蔦監督』という映画を見てきました。監督は、蔦文也監督(徳島、池田高校)のお孫さんの蔦哲一郎さん。抑制のきいた素晴らしいドキュメンタリー映画でした。蔦監督への批判や非難まで紹介しながら、人間、蔦文也を描いていました。翌日、哲一郎さんと山形ドキュメンタリー映画祭の事務局長の高橋さんたちとロッジを借りて飲んで語り合いました。その中でやはり高橋さんのスタンスが裏方に徹するという姿勢です。彼のような存在があって初めて、山形ドキュメンタリ―映画祭がこれほど素晴らしいものになったのですね。

 震災復興も農村再生も覚悟をもって裏方に徹する人の存在が必要なのですね。

 ※ 自分はまだまだスケベ心がありすぎで、何たる怠慢!! あぁ、非情!!!

バンガク??? 釜渕行燈番楽の素晴らしさ!

 先日(四日)、真室川町釜淵で何世代にもわたって引き継がれてきた伝統芸能(250年とも300年ともいわれる)の行燈番楽を見てきました。午後5時から、地域のもと郷倉で毎年行われているものです。狭い建物の中に地域の人やほかの地域からの観客で、立錐の余地がないほど。50人以上でしょうか。
 席には、この地域の郷土料理が並び、ろうそく(行燈)が準備され、さらにこの地区の名人が作ったと思われる「ドブロク(濁酒)」が準備されていました。(こりゃ、たまらん!)

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 まず、子どもたちの可愛い「前口上」に始まります。この口上がとってもいいんです。これで観客の心をつかむのですね。

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 そして、親子による獅子舞で始まりました。選挙の近い町長さんや議員さんは我先にと獅子頭に頭を差し出します。

 

 私たち観客は、おいしい料理とお酒に舌鼓を打って、若者、子どもたちの踊りに酔いしれます。以前は、番楽の最中の飲食はしていなかったそうです。この番楽を評価し見守ってこられた結城登美雄さん(民族研究科)と話をしていて、「<文化>だとか言って、堅苦しい中で、番楽をやるよりも、こんな風に飲み食いしながら、地域の人達の楽しみとして、やった方がいいだろう。それが本来の姿ではないかい」と言われ、納得したところでした。

 

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 この素晴らしい番楽の存続は後継者にかかってます。少子化の影響で大変厳しい状況にあります。ただ番楽保存会の会長さんが、最後にお話されていましたが、この番楽に参加している地域の青年や子供たちが大変意欲的で頼もしい、とのこと。それは演技を通して私達にも伝わってきました。

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 この最後の写真、法被を着た大人にまじって、謡いと鐘(銅拍子)を叩いているかわいい男の子、5歳です。私の元同僚のお子さんです。聞くところによると、前口上も謡も鐘も教えたわけではなく、お兄ちゃん、お姉ちゃんと一緒に練習に参加していて、自然に覚えたそうです。
 大人も子供もみんなで楽しみながら伝統を引き継いでいく。これが地域を守って行くことなのだと実感しました。本当にいいものを見せて頂きありがとうございました。多謝!!

 

*1

*2

*1:【郷倉】ごうぐら
郷蔵とも書き、社倉(しゃそう)、義倉(ぎそう)ともいう。江戸時代、各村々、あるいは数か村に1か所設けられた米穀の収蔵倉をいう。設置の目的は、年貢米の保管または備荒(びこう)貯蓄のためであった。
※釜渕の郷倉は、昭和9年の東北大凶作に際し、皇室からの御下賜金50万円と国庫支出金を元に飯米確保の恒久対策として、各部落毎に作られたもの。「恩賜郷倉」といいます。

*2:【番楽】ばんがく
  山伏神楽(やまぶしかぐら)のうち、日本海側の秋田・山形県に分布するものをこの名でよぶ。単に獅子舞(ししまい)ともいうが、江戸時代には舞曲(あそび)とも称していた。番楽は『曽我(そが)物語』や『平家物語』に取材した荒々しくテンポの速い武士舞を特色とし、これら武士舞を一般に番楽舞ともいうところに名称の由来があるといわれる。
  番楽は修験道(しゅげんどう)信仰に伴う芸能であるだけに、鳥海(ちょうかい)山、太平(たいへい)山、神室(かむろ)山などを取り巻く山麓(さんろく)の村々に集中した分布がみられる。
  諸曲の構成は獅子舞を別格とし、式舞、神舞(かみまい)、番楽舞、女舞、道化(どうけ)舞に分類できる。神社、宿、公民館などを舞台とし、正面奥に幕を張っただけの狭い空間で演じる。囃子(はやし)は太鼓、笛、銅拍子(どうびょうし)の3種。これに拍子木(ひょうしぎ)の加わる所もある。曲趣は神楽というよりはむしろ能に近く、曲によっては大成前の能の古態をとどめているものがあるといわれる。

【山伏神楽】より
…東北地方に山伏が伝えた神楽。同系の神楽を日本海岸の秋田・山形では番楽(ばんがく),青森では能舞(のうまい),宮城では法印神楽(ほういんかぐら)などとも呼ぶ。古くは山伏の一団が農閑期や正月に,権現(ごんげん)様と呼ぶ獅子頭を神座として奉じ,檀家の家々をまわって火伏せや悪魔祓いの祈禱をした。…
[高山 茂]  出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)