農山村地域経済研究所 新庄支所から

豊かな自然と宝物がいっぱいの農山漁村が、全国各地にあります。この村々を将来の世代に残そうと、一年の半分以上を農村行脚しながら、村づくりをサポートする楠本雅弘という先生がいます。これは先生の応援ブログです。

#キジが寄り添って離れない! 癒しの森

f:id:zenninnaomote:20201022160027j:plain先日、20日に自分の管理する山(森)に行ってきました。

 午前中に、小一時間ほど作業をしてきたのですが、雑木を片付けていると、なんと目の前にキジが歩いているではありませんか!「シッ、シッ、と声を出し、追い払おうとするのですが、逃げません。目の前に手をやると少し、突っつきました。そこでガラケーを持ち出し、撮影。ほんの50センチ前での写真。映りが悪くてどうしようもないのですが。

 その後、自分は伐採してあった間伐材の杉皮を剥こうと10メートルほど歩いていくと、なんとこのキジがついてくるではありませんか。相手にしないで杉皮を剥いていると間伐材の上に来て私の作業を見ていました。

 なんとも不思議な時間でした。作業時間は20分ほど。そしていつの間にいなくなりました。相手をしてやらなかったからでしょうか?

 野生のキジが、人を恐れないなんて信じられなかったのですが、本当の話です。半時ほどの癒しの時間となり、森の良さを再認識した時間でした。

 みなさんも山に足を運んでみませんか。

 

<中小企業振興条例を活かして地域をつくる>岡田知弘先生の講演会

 10月26日(金)に、山形県産業創造支援センターにおいて、山形県中小企業家同友会主催で上記の講演会と学習会が開かれました。
 今でもそれほど認知度が高いとは言えない「中小企業憲章」・「中小企業振興条例」について、日本と世界の政治・経済情勢から解き明かし、この条例の制定と活用により地域づくりの核にしていこうと提案するものでした。つまり
 ① 災害が多発し、さらに経済のグローバリズム化が進む一方、地方は疲弊し続けている。そうした中でも地域経済を支え続けているのは地域の中小企業(=地域社会を作り、維持する最大の経済主体)。
 ② 経済のグローバリズム化により、大企業の海外進出と輸入促進政策による地場産業農林水産業の衰退。構造改革政策による東京への富の集中と地方の衰退。さらに追い打ちをかけるような災害の連続。これまでの生活を維持できない地域の拡大⇒限界集落
  *例えば、2001年の経産省『H12年度企業活動基本調査報告書』で海外売上高を見 ると70%が東京に集中大阪府が10%程度。愛知が7%)。国税庁法人税統計」2012年版では、法事所得額が東京に49%(大阪11%、愛知8%程度)。これだけでも「東京一極集中」の意味が分かろうというものです。
  *東日本大震災にしても「惨事便乗型復興」といわれるように、国の復興資金(予算)を大手ゼネコンが半分以上吸い上げる構造です。これは何も東日本大震災に始まったものではない。阪神・淡路大震災でも、兵庫県が推計したところ、震災後二年間に集中した復興需要14・4兆円(うち公共投資三割)の90%が被災地外に流出してしまった」(岡田知弘『震災からの地域再生』2012/5新日本出版社)というように、東京の大企業が利益を吸い上げる構造なのである。

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 ③ 中小企業を主役に地域の実情に合った独自の産業政策を地方自治体が持つ時代になってきている。こうした中、「中小企業憲章」(2010/6)・「中小企業振興基本法」(2014/6)が決定・制定された。

 地域経済の主役は中小企業と農家であり、地域産業の維持、拡大が住民の生活を支える自治体の税源の保障になると指摘し、地域内経済循環の視点で、地域の宝に光を当てて地域づくりに取り組む自治体の具体例を紹介。循環経済の仕組み作りの重要性を指摘して、その際に中小企業振興条例が非常に有効であることを指摘します。

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「農村と農政を考える楠本ゼミ」参加記 2

<党派性の克服>
 先生は、一橋大学で永原慶二先生、佐々木潤之介先生、古島敏雄先生のもとで歴史学を学ばれ、戦前マルクス主義の最高の到達点である講座派の理論を学ばれた(戦前に、「日本資本主義論争」があり、講座派=共産党の理論的シンパと労農派=社会党左派の論争)。特に永原ゼミでは伝統の農村調査で鍛えられ、その後の先生の調査研究のベースとなりました。その後農林漁業金融公庫の調査部に就職。農村現場での調査・研究の中で、戦前農政の担当者・当事者である石黒忠篤、小平権一らの農政史研究することになり、視野を広げられた。
 ところで楠本先生が学ばれた先生方は講座派に属します。当時は研究者の中にも「講座派だ、労農派だ」というようなレッテル貼りがありました。*1しかし楠本先生は、講座派の中でも見解は多様で、永原先生と労農派の大内力先生との類似性を指摘します。これなどは初めてうかがうことで、自分の不勉強を自覚するとともに、楠本先生の見識の深さに驚かされます。そしてこの近代史に関わる論争を「論争のための論争」をくり返してきた。政党の介入、特にコミンテルンの影響などで学問もゆがめられた。しかし徹底的に資料を調べ、論理を構成して、相手を論破する。自分がいかに説得力を持った論証展開するかというので、学問は進歩した。と整理します。
 ただ先生の話を伺っていると、学部1年の夏に調査し、2年で学生研究誌『一橋』に応募し、入選した「農業における階層分化と共同化」という最初の論文。栗原百寿『農業危機の成立と発展』を台本にして書いたという卒論「寄生地主制下の小農経営に関する試論」からもわかるように、農業の共同経営とか、小作農民の暮らしといった農村社会の基底のところに視点があり、それを追求し続けてきた。だからこそ党派性に左右されることなく、本当に貴重な研究をつづけられ、さらに貴重な史資料の編纂を成し遂げることができたのだと思います。

*1 私も森武麿先生の研究会で勉強させていただいている時に、「俺、大島清先生のゼミに参加させてもらっている」と言ったら、仲間に「おまえは節操がない」と非難されました。(大島先生は労農派ですが、栗原百寿の最大の理解者で、栗原が49年にレッドパージで困窮し、さらに当時出した栗原理論を共産党は彼が死ぬまで非難・罵倒し、日の目を見たのは死後である。この間、大島は栗原家の最大の援助者でした。)

「農村と農政を考える楠本ゼミ」参加記


<はじめに>
 9月14日(金)、農文協会議室(港区赤坂)で行われた、第2回の上記ゼミに参加してきました。
 ここ5が月ほど、個人的な理由で、山仕事もボランティアも全くと言っていいほど何もできませんでした。その意味でも今回のゼミへの参加は、知的な刺激を大いに受けてまいりました。
 このゼミの呼びかけ人である中島紀一先生(茨木大学名誉教授)の「お誘い」の文章
 喜寿を迎えられた楠本さん。驚くばかりの博学。文字通りの碩学の人。その楠本さんから、近現代の日本の農業・農村・農政の歩みについて、縦横にお話しいただけることになりました。
  戦前から戦中へ。私たちは今、その歴史過程を、つぶさに見つめ直す時期にいると思います。楠本さんの語りから新しい認識を紡ぎだせればと期待しています。
  ぜひご参集ください。」

  考えてみると、戦後の農政と言っても70年以上も経過しているのです。今聞いておかなければ、という思いで参加しました。

<楠本先生の研究テーマ>
 第2回のテーマは「なぜ農村・農政研究を志したのか?  個人史と社会史の交錯(その2)」でした。そこでは、楠本先生の「研究史との出会い」をご自分の半生を振り返りながら、具体的に話されました。その話される内容は、驚くべき記憶力で、まさに博覧強記というべきものです。(第1回の講演記録は、事務局の方がテープ起こしをされています。また中島先生の質問も的を得たもので、私にとってはわかりやすい解説となりました)
 そこで先生の選ばれた研究テーマは、「農業経営(資金)管理論」、「協同組合」、「農業金融」そして「出稼ぎと過疎問題」。それに続く「集落営農運動」。そしてこれらの背景となる「地域史」。さらにこれらの歴史的な展開から検討する「近代農政と石黒(忠篤)・小平(権一)」、「農山漁村経済更生運動」。そしてこれらの研究の元となる「農政史料の探査収集・整理分析・保存・刊行」です。このように多岐にわたります。(先生は、これだけにとどめておりますが、実はもっともっと広範囲にわたります)
 しかし先生が上記のテーマを対象にする理由は、農を営む人々の日々の営みに始まり、彼らを取り巻く環境、そして彼らの生活を規定する行政(農政)に至るという至極当然な研究姿勢と言えます。しかし「協同組合」一つとっても、個人のテーマとしては大きいのに、と思うのは私一人でしょうか。
<問題意識>
 そして先生の研究の根底にある問題意識が、農山漁村に住む人々の生活(共同体)の再生あると確信しています。
 ある学者は「いかなる学者も<自分自身の学問が庶民にとってどのような意味をもつのか>ということを明らかにせずに研究してはいけない」(板倉聖宣=教育学者)と言います。学者・研究者と言われる人は星の数ほどもいますが、自身の学問・研究をもとに実践・活動している人はどれほどいるだろうか。
 先生が山形大学在職中に「山形県史現代編」の編纂事業が行われ、私も産業・経済部会で先生とご一緒させていただいた時、先生の博学ぶり、見識の確かさに驚嘆し、本当に失礼な質問をしてしまった。「なぜ先生は、これらのことを論文として発表されないのですか」と。しかし先生はその頃より(それ以前から)農家の経営相談、農山漁村の再生のための全国行脚をしていたのです。
 問題意識とは何かということは、学問はどうあるべきかということであり、弁証法・認識論の問題でもあります。つまりどういう問題意識を持つかによって、農村・農政に対する認識も異なってきます。また組織論・運動論も同様です。農民たちと乖離した意識で運動を進めようとしても、農民はついてきません。またその運動も成功はしません。一人一人が判断できるよりどころを示さなければついてこないのだと思います。「行方 見えねば 人寄らず」(牧衷)です。       (つづく)

 *次回は、<党派性の相克>ないしは<党派性を超えて>から。

樹木が何百年も生きられる理由

 山で大木を切るのを初めて見たとき、ただただ圧倒されたものでした。その感覚は今でも変わりません。複雑な感情はあるのですが。また林業は大変危険で重労働でもあるのですが、仕事をしているととても気分がいいのです。不思議な感覚です。精神が浄化されるとでもいうのでしょうか。
 ところで皆さんは、大木を見て、「なんで樹木は何百年も生きられるのだろう?」なんて、考えたことはありませんか?私は自分の住む地域にある古木や、人工林なのに200年もたっている杉林を見に行ったりします。また、屋久島の千年杉のことを考えると、なんか「ありえない話」で、これこそ神の宿る木だから枯れないんだ。などと考えていました。
 ところが先日、この答えを大好きな雑誌『BE-PAL』(12月号 小学館)で知る事ができました。連載記事「ルーラルで行こう!」の稲本正さん「森林×アロマセラピー」のお話からでした。その中で、英国王立植物園のドクター・プランスの言葉を紹介。
「木が100年、200年と生き続けられる理由(中略)は、葉や樹皮に含まれる芳香物質のおかげ。これらの成分には、細菌の増殖を退けるだけでなく、抗酸化作用もある」
 <なるほど!>とガッテンした次第。さらに“宮大工はヒノキのにおいを嗅いでいると風邪をひかない”とか“飛騨の樵は、仕事で肩が凝るとミズメザクラの樹皮をはいで肌に張っている”この木は湿布薬そっくりのにおいがし、成分を分析すると湿布薬の主成分と同じだとのこと。
 これってすごい発見だと思いませんか?そんなの常識だよ!という人はごめんなさい。ヒノキの風呂は気持ちがいいなどとは感じてはいたものの、植物の芳香成分に疲労回復や自律神経を整える効果があるなど、山仕事をf:id:zenninnaomote:20171211232152j:plain

するまではほとんど意識することはありませんでした。アロマセラピーなんて都会のおばさんがやっていること、なんて斜に見ていたのですが、自分は山で木を伐っているだけでアロマセラピーを実践していることに気づかされました。
 本当に山には、私たちの暮らしに必要なものは何でもそろっているのですね。そのためにも、「本当に豊かな森」づくりが必要なのだと思います。

(写真は、クロモジ=黒文字。高級爪楊枝として利用されてきた香木。)

 

内側からの農村再生を!!  森先生からの贈り物

 昨年の8月6日に、私たちが行っているサークル「ゆかいな勉強会」で、私の恩師、森武麿先生が講演してくれましたが(その報告は、以前ブログに書きました)、その時の講演のレジュメを元に原稿化してくださいました。

 「戦前農村経済更生から現代農村再生へ ―農村経済更生運動の歴史的教訓ー」(2017年2月 『歴史と民俗』神奈川大学日本常民文化研究所論集33)

 論文の「要旨」の部分を紹介します。

 「戦前農村更生は上からの農村再生(国家主導型)、外からの農村再生(外発型)であった。この弱さが農民を戦争とファシズムの道に導いた。現代の農村再生は下からの農村再生(自治型)であり、内からの農村再生(内発型)であることが求められる。すなわち「上から」と「外から」の農村更生から、「下から」と「内から」の農村再生に転換しなければならない。特に思想転換は、戦前の農本主義を克服し閉じた共同体から開かれた共同体へ、持続可能な地域社会、都市住民の田園回帰も含めた都市と農村の共同社会の建設が目標であろう。」

 当日は、簡単なレジュメを準備するとの事でしたが、12ページにもわたるもので、到底2時間の講演では終わるものではなく、場所を居酒屋に変えて、私達と語り合いながら、本当に熱のこもったお話をしてくださいました。

 興味を持たれたら、お読みください。農山村の再生を考え、実践していく参考書にしていただけたら嬉しいです。

お知らせ 「第7回 雪調に学ぶ講座」

 私の住む新庄には、<セツガイ>または<セッチョウ>と呼ばれる風変わりな建物があります。この建物は、建築学者考現学(考古学に対する)の提唱者として知られた今和次郎が設計し、1937(昭和12)年に建築されたもので、「農林省積雪地方農村経済調査所」と言いました。現在は「雪の里情報館」として保存・活用されています。

 昭和農業恐慌、度重なる凶作などで疲弊・窮乏していた東北(積雪地方)の農山村の調査・研究・指導機関として設置されたものです。

 この施設に数多く残る遺産を見直し、活用することで私たちの住む東北の農山村の再生について、考えていきたいと活動しています。

 興味を持たれたら、是非参加してみてください。交流会では、最高の米、最上の郷土料理、そして最高のドブロクも飲めますよ!!!


第7回 雪調に学ぶ講座
―東北のてしごと、最上のてしごと―

雪調(積雪地方農村経済調査所(昭和8年~22年、現「雪の里情報館」)の遺産を次世代に引き継ごうと始まったこの講座も7年目をむかえました。
今回は、雪調でおこなわれた農家の副業としての「民芸の活用」を振り返り、てしごとの現在とこれからについて考えてみたいと思います。最上に足元をさだめ、地域にねざした活動をしている若き三人の工人を迎えて「土着の美」について熱く語ってもらいます。 

日時     平成29年3月25日(土)PM1:30~9:00
場所     新庄市「山屋セミナーハウス」(学習会・交流会・宿泊)
       新庄市金沢3036-2 ☎0233・22・3527
内容 (1) 報告と提案。(13:45~14:30)
   ◆ぺリアンの「寝椅子」復元経過について(星川一宏氏・コミューンあおむし)
   ◆工房ストローの一年         (高橋伸一氏・工房ストロー主宰)
   ◆舟形焼きと長澤和紙        (金 寛美氏・舟形焼わかあゆ薫風窯)

   ◆青苧(からむしおり)      (高橋里奈氏・大江町地域おこし協力隊)
   (2) 講演(14:30~15:30))
       結城登美雄氏(民俗研究家)
        「てしごと―過去から未来へつなぐ」
       鼎談 (15:30~17:00)(結城、高橋、金、髙橋)
        「てしごとは、最上にあり」
   (3)俺にも言わせろコーナー(17:00~17:30)
   (4)交流会(6:30~9:00)
参加費  学習会(1000円)・交流会(2500円)・宿泊(朝食付2000円)
主 催  ネットワーク農縁
共 催  最上の元気研究所・雪調アカデミア準備会・ゆかいな勉強会
協 賛  手仕事フォーラム・はちべえの森山林資源開発研究所
申 込  ネットワーク農縁・佐藤まで