農山村地域経済研究所 新庄支所から

豊かな自然と宝物がいっぱいの農山漁村が、全国各地にあります。この村々を将来の世代に残そうと、一年の半分以上を農村行脚しながら、村づくりをサポートする楠本雅弘という先生がいます。これは先生の応援ブログです。

ねむの花忌 ~佐藤義則を偲ぶ会~

 6月11日(日)、山形県最上町の本城の共同墓地において、故佐藤義則の偲ぶ会が行われました。当日は、花曇りの中、義則さんの奥様も大阪から駆けつけてくれ、そして親族、友人、関係者など27名が墓前に集まり、故人を偲びました。

 

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 佐藤義則(1934~79 享年54)は、中学校卒業後、農業に従事しながら本城青年学級などでの学びを通しながら、青年団活動に没頭する。青年会誌『あゆみ』や町の連合青年会誌『山脈』などの編集・ガリ版刷りで中心的な役割を果たしながら、自身も精力的に生活を記録していった。その後紆余曲折を経ながら、最上の地で苦闘しながら、現実の百姓の生活に根差した民話・民族研究に没頭。古老から民話伝承や年中行事などを聞き書きし、それらは『ききみみ小国郷のわらべうた』、『羽前・最上 小国郷夜話』、『ききみみ』、『雪むすめのおくりもの』などに結実する。

 この「ねむの花忌」は、昨年6月に、佐藤義則について調査・研究されている千葉県の芦原敏夫さん(最上町出身)と同じく千葉県の八鍬貞一さん(戸沢村出身)の二人が中心となり、「佐藤義則研究会」が発足。その際に、毎年佐藤義則の命日に偲ぶ会を開催すること(=ねむの花忌)と会報誌(=『オイノコ』創刊号)の発行を決めたことによる。ちなみに「ねむの花忌」としたのは、義則が私淑していた須藤勝三の追悼文の中の言葉<合歓の花のようなあえかな人生>(総合藝術誌『場』1979年8月)から命名したもの。   今後、まだ活字化していないガリ版ずりの青年会誌のパソコン収録活字化を進めること。佐藤義則宅の蔵書・資料の整理・記録、そして活用・保存について取り組みを進めることを申し合わせている。

 私自身、不勉強で佐藤義則を論ずることなどできないのですが、最上町連合青年会機関誌『健青』(ガリ版刷り)の活字化のお手伝いをしながら感じた事は、当時の青年たちの社会と現実の生活に誠実に向き合う姿であった。そして墓前での偲ぶ会の後の直会で親族、友人、関係者から、義則への思い出話を通して感じた事は、参会者の多さとともに、彼等と義則との人間関係の濃さであった。現代の人間関係の希薄(化)さと比較する時、当時の青年団活動や生活記録運動の持つ意義を再考する必要があるのではないかと思った。