農山村地域経済研究所 新庄支所から

豊かな自然と宝物がいっぱいの農山漁村が、全国各地にあります。この村々を将来の世代に残そうと、一年の半分以上を農村行脚しながら、村づくりをサポートする楠本雅弘という先生がいます。これは先生の応援ブログです。

「農村と農政を考える楠本ゼミ」参加記


<はじめに>
 9月14日(金)、農文協会議室(港区赤坂)で行われた、第2回の上記ゼミに参加してきました。
 ここ5が月ほど、個人的な理由で、山仕事もボランティアも全くと言っていいほど何もできませんでした。その意味でも今回のゼミへの参加は、知的な刺激を大いに受けてまいりました。
 このゼミの呼びかけ人である中島紀一先生(茨木大学名誉教授)の「お誘い」の文章
 喜寿を迎えられた楠本さん。驚くばかりの博学。文字通りの碩学の人。その楠本さんから、近現代の日本の農業・農村・農政の歩みについて、縦横にお話しいただけることになりました。
  戦前から戦中へ。私たちは今、その歴史過程を、つぶさに見つめ直す時期にいると思います。楠本さんの語りから新しい認識を紡ぎだせればと期待しています。
  ぜひご参集ください。」

  考えてみると、戦後の農政と言っても70年以上も経過しているのです。今聞いておかなければ、という思いで参加しました。

<楠本先生の研究テーマ>
 第2回のテーマは「なぜ農村・農政研究を志したのか?  個人史と社会史の交錯(その2)」でした。そこでは、楠本先生の「研究史との出会い」をご自分の半生を振り返りながら、具体的に話されました。その話される内容は、驚くべき記憶力で、まさに博覧強記というべきものです。(第1回の講演記録は、事務局の方がテープ起こしをされています。また中島先生の質問も的を得たもので、私にとってはわかりやすい解説となりました)
 そこで先生の選ばれた研究テーマは、「農業経営(資金)管理論」、「協同組合」、「農業金融」そして「出稼ぎと過疎問題」。それに続く「集落営農運動」。そしてこれらの背景となる「地域史」。さらにこれらの歴史的な展開から検討する「近代農政と石黒(忠篤)・小平(権一)」、「農山漁村経済更生運動」。そしてこれらの研究の元となる「農政史料の探査収集・整理分析・保存・刊行」です。このように多岐にわたります。(先生は、これだけにとどめておりますが、実はもっともっと広範囲にわたります)
 しかし先生が上記のテーマを対象にする理由は、農を営む人々の日々の営みに始まり、彼らを取り巻く環境、そして彼らの生活を規定する行政(農政)に至るという至極当然な研究姿勢と言えます。しかし「協同組合」一つとっても、個人のテーマとしては大きいのに、と思うのは私一人でしょうか。
<問題意識>
 そして先生の研究の根底にある問題意識が、農山漁村に住む人々の生活(共同体)の再生あると確信しています。
 ある学者は「いかなる学者も<自分自身の学問が庶民にとってどのような意味をもつのか>ということを明らかにせずに研究してはいけない」(板倉聖宣=教育学者)と言います。学者・研究者と言われる人は星の数ほどもいますが、自身の学問・研究をもとに実践・活動している人はどれほどいるだろうか。
 先生が山形大学在職中に「山形県史現代編」の編纂事業が行われ、私も産業・経済部会で先生とご一緒させていただいた時、先生の博学ぶり、見識の確かさに驚嘆し、本当に失礼な質問をしてしまった。「なぜ先生は、これらのことを論文として発表されないのですか」と。しかし先生はその頃より(それ以前から)農家の経営相談、農山漁村の再生のための全国行脚をしていたのです。
 問題意識とは何かということは、学問はどうあるべきかということであり、弁証法・認識論の問題でもあります。つまりどういう問題意識を持つかによって、農村・農政に対する認識も異なってきます。また組織論・運動論も同様です。農民たちと乖離した意識で運動を進めようとしても、農民はついてきません。またその運動も成功はしません。一人一人が判断できるよりどころを示さなければついてこないのだと思います。「行方 見えねば 人寄らず」(牧衷)です。       (つづく)

 *次回は、<党派性の相克>ないしは<党派性を超えて>から。