農山村地域経済研究所 新庄支所から

豊かな自然と宝物がいっぱいの農山漁村が、全国各地にあります。この村々を将来の世代に残そうと、一年の半分以上を農村行脚しながら、村づくりをサポートする楠本雅弘という先生がいます。これは先生の応援ブログです。

新聞の訃報欄から、日本の政治についての雑感 ~和田博雄と寺内金作~

 先日、朝日新聞山形版に戸沢村の寺内金兵エさんの訃報が載りました。小生、一度、寺内家を訪問したことがあり、そこで金作さん宛ての和田博雄の手紙を拝見する機会がありました。期日は明確ではありませんが、昭和25年2月末?内容は、金作さんに初孫が出来て、そのお祝いに色紙を送る旨の手紙です。その色紙には和田の有名な「満天の春星 吾に 放たれぬ」という俳句が記されていました。

 この初孫は、金兵エさんの息子の惠一氏。和田と金作さんの交流の詳細は不明です。しかし、かなり深い交流があったように想像します。

 和田は、戦前に企画院事件(1941.4.8):デッチ挙げられた治安維持法違反である企画院事件の主謀者として、部下の勝間田精一(後の社会党委員長)、稲葉秀三(後に国民経済研究協会設立、サンケイ新聞社社長)らとともに3年間投獄され、その間生死の境をもさまよった。釈放時(1943.4.1)に詠んだ句が「満点の……」です。

 戦後、和田は吉田内閣の農林大臣として、第2次農地改革を成功させます。さらに片山内閣(社会党)では、吉田の推薦で経済安定本部総務長官になります。1949年に社会党入党。そして1964年には社会党の副委員長に就任しています。

 ここで感じるのは、政治的な力学が働いていたとはいえ、戦後の混乱期を乗り切るためには、優秀な人材を登用しようとする吉田茂の幅の広さである。今では考えられないことですね。やはりこのころの政治家は党派を超えて、度量の大きい政治家が何人もいたということでしょうか。今の政治家は、「首切りばかり(阿部・菅政権の人事)で、自分で腹を切る」人間は殆んど見受けられません。自分の自慢ばかりで自分の失敗を認める政治家はいません。昔の政治家は人格者が多かった、とは小生の大学の恩師の話。

 今日は、衆議院の総選挙。疑惑を抱える多くの候補者が当選しています。こころから日本の将来について考えている哲学を持った人に国の政治を任せたいものです。

 教育基本法が改正されたとき(2006年11月)日本でただ一人、改正に反対した高知県の元教育長大崎博澄さんの言葉「ぼく達の世代はまだいい。次の世代、次の世紀に生きる子供たちの水や空気、エネルギーを先食いして成り立つ現在の繁栄の虚構に気付く機会を、ぼく達は自分の手でつかまなければならない。…(中略)…中山間地域の農業を生産性オンリーの視点でなく、人間回復の視点で見直すことが出来ないだろうか」を読み返すとき、今回がそのチャンスだったのだと思うのですが、いかがでしょうか?

 今の政治は、「今だけ、金だけ、自分だけ」ということが露骨に表れているように感じます。