農山村地域経済研究所 新庄支所から

豊かな自然と宝物がいっぱいの農山漁村が、全国各地にあります。この村々を将来の世代に残そうと、一年の半分以上を農村行脚しながら、村づくりをサポートする楠本雅弘という先生がいます。これは先生の応援ブログです。

バンガク??? 釜渕行燈番楽の素晴らしさ!

 先日(四日)、真室川町釜淵で何世代にもわたって引き継がれてきた伝統芸能(250年とも300年ともいわれる)の行燈番楽を見てきました。午後5時から、地域のもと郷倉で毎年行われているものです。狭い建物の中に地域の人やほかの地域からの観客で、立錐の余地がないほど。50人以上でしょうか。
 席には、この地域の郷土料理が並び、ろうそく(行燈)が準備され、さらにこの地区の名人が作ったと思われる「ドブロク(濁酒)」が準備されていました。(こりゃ、たまらん!)

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 まず、子どもたちの可愛い「前口上」に始まります。この口上がとってもいいんです。これで観客の心をつかむのですね。

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 そして、親子による獅子舞で始まりました。選挙の近い町長さんや議員さんは我先にと獅子頭に頭を差し出します。

 

 私たち観客は、おいしい料理とお酒に舌鼓を打って、若者、子どもたちの踊りに酔いしれます。以前は、番楽の最中の飲食はしていなかったそうです。この番楽を評価し見守ってこられた結城登美雄さん(民族研究科)と話をしていて、「<文化>だとか言って、堅苦しい中で、番楽をやるよりも、こんな風に飲み食いしながら、地域の人達の楽しみとして、やった方がいいだろう。それが本来の姿ではないかい」と言われ、納得したところでした。

 

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 この素晴らしい番楽の存続は後継者にかかってます。少子化の影響で大変厳しい状況にあります。ただ番楽保存会の会長さんが、最後にお話されていましたが、この番楽に参加している地域の青年や子供たちが大変意欲的で頼もしい、とのこと。それは演技を通して私達にも伝わってきました。

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 この最後の写真、法被を着た大人にまじって、謡いと鐘(銅拍子)を叩いているかわいい男の子、5歳です。私の元同僚のお子さんです。聞くところによると、前口上も謡も鐘も教えたわけではなく、お兄ちゃん、お姉ちゃんと一緒に練習に参加していて、自然に覚えたそうです。
 大人も子供もみんなで楽しみながら伝統を引き継いでいく。これが地域を守って行くことなのだと実感しました。本当にいいものを見せて頂きありがとうございました。多謝!!

 

*1

*2

*1:【郷倉】ごうぐら
郷蔵とも書き、社倉(しゃそう)、義倉(ぎそう)ともいう。江戸時代、各村々、あるいは数か村に1か所設けられた米穀の収蔵倉をいう。設置の目的は、年貢米の保管または備荒(びこう)貯蓄のためであった。
※釜渕の郷倉は、昭和9年の東北大凶作に際し、皇室からの御下賜金50万円と国庫支出金を元に飯米確保の恒久対策として、各部落毎に作られたもの。「恩賜郷倉」といいます。

*2:【番楽】ばんがく
  山伏神楽(やまぶしかぐら)のうち、日本海側の秋田・山形県に分布するものをこの名でよぶ。単に獅子舞(ししまい)ともいうが、江戸時代には舞曲(あそび)とも称していた。番楽は『曽我(そが)物語』や『平家物語』に取材した荒々しくテンポの速い武士舞を特色とし、これら武士舞を一般に番楽舞ともいうところに名称の由来があるといわれる。
  番楽は修験道(しゅげんどう)信仰に伴う芸能であるだけに、鳥海(ちょうかい)山、太平(たいへい)山、神室(かむろ)山などを取り巻く山麓(さんろく)の村々に集中した分布がみられる。
  諸曲の構成は獅子舞を別格とし、式舞、神舞(かみまい)、番楽舞、女舞、道化(どうけ)舞に分類できる。神社、宿、公民館などを舞台とし、正面奥に幕を張っただけの狭い空間で演じる。囃子(はやし)は太鼓、笛、銅拍子(どうびょうし)の3種。これに拍子木(ひょうしぎ)の加わる所もある。曲趣は神楽というよりはむしろ能に近く、曲によっては大成前の能の古態をとどめているものがあるといわれる。

【山伏神楽】より
…東北地方に山伏が伝えた神楽。同系の神楽を日本海岸の秋田・山形では番楽(ばんがく),青森では能舞(のうまい),宮城では法印神楽(ほういんかぐら)などとも呼ぶ。古くは山伏の一団が農閑期や正月に,権現(ごんげん)様と呼ぶ獅子頭を神座として奉じ,檀家の家々をまわって火伏せや悪魔祓いの祈禱をした。…
[高山 茂]  出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

はちべえの森 「ものみる」完成!!!

 12月24日(土)に、はちべえの森に、「ものみる」が完成しました。

 山形県のみどり環境公募事業を活用させてもらい、3年前から山を整備し、オリエンテーリングの道を作り、昨年は山小屋「とらいあん」を、そして今年は山やその周辺を一望できる「ものみる」を完成させました。ここを起点にして来年はさらに子供たちは勿論、地区の人達の憩いの場になればと思っています。

 <手前が「とらいあん」(煙突の煙がまたいい!!)後ろにちょっと見えるのが「ものみる」>

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<これが「ものみる」土台の木は栗の木を焼いて利用したもの。どうです?立派でしょう!! Y口君はシャイで後ろを向いてしまいました。>

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<雨の日は、屋内から、天気の良い日はベランダで最高の景色を堪能します!>

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 その日は、薪割をし、夜は「ものみる」完成祝賀会を、K司くん、Y口くん、K一さんと盛大に執り行いました。数十年前に少年だった男たちの夢の一つが実現した、うれしい、そして楽しい夜(クリスマスイブではなく)なりました。

 あぁ、よか酒!!!

「楠本先生を囲む会」 ~集落営農は地域づくり~

 11月19日(土)、雪の里情報館において「楠本雅弘先生を囲む会」を開きました。
 午前9時から、12時までの短時間ではありましたが、参加者全員が先生と昼食をともにし、話が尽きませんでした。
 先生からは、先生が監修した『集落営農支援シリーズ 地域再生編』の中から先進事例を選択して紹介していただき(盛岡 広島 島根)、解説していただきました。

 次に、事例発表にうつり、事例をもとに話し合いをしました。
 まず最上地域で唯一の集落営農組織である、「ひまわり農場」の現状と課題について、代表理事のTKさんより報告してもらいました。この報告を聞き、現在のこの地域の抱える問題が凝縮しているように感じました。
 例えば経営面積は、平成16年(2004)で66ha。平成28年(2016)では176haに増大している。これは何を意味しているか。「登記上は約1万筆以上」つまり小面積の耕地である。「作業受託を行っている圃場はすべて基盤整備されていない」つまり山間地の狭小の耕地である。「作業委託者は100人ほど」これも同様である。
山間農村の抱える課題が浮き彫りにされている。転作地を大豆畑にし、耕作放棄地の増大に対応し受託地を増やしてきた。しかし「1圃場あたり10㏊以下が多く、この条件下では限界に来ているが、来年度の新規依頼もすでにきている状況で、どのように受け入れていくかが課題」というように、基盤整備がされた大面積の耕地とちがって、機械化による省力化にも限界がある。このような行政が対処すべきはずの問題を、ひまわり農場は引き受けているのである。
また、役員5人、社員8人体制(その他、4~5人のピンチヒッターがいる)で事業を運営しているが、社員のうち3人は12~3月に町の除雪オペレーターをしており、通年での仕事の確保が課題である。
しかしながら、平成6年の結成以来、紆余曲折を経ながらも事業の拡大、多角化(育苗・ミニトマト・ほうれん草)をはかりながら、成長している。集落営農の課題の一つでもある<世代交代>もかなり進んでいる(20~30代が6人)ようである。
集落営農は、地域住民の共同活動を結集した新しい共同経営体である。

続いてKSさんから30年以上続いている「F小学校と世田谷区の小学校との交流事業」についての事例発表があり、年と農村の交流の大きな可能性について話し合われた。
最上地域の持つ豊かな自然環境・食べ物が大きな教育効果を持つこと。つまりこの地域の良さを都市住民に発信するとともに、地域の子供たちが地域の宝を再認識することである。しかしながら、90万人の世田谷区と6000人のF町。一つの小学校では世田谷区の要望(現在世田谷の2小学校との交流であるが、他の小学校も交流を希望している)に応えられなくなっている。この事業を最上地域で拡大することで、教育効果はもとより、経済効果も拡大するものと思う。

「俺は、木を殺している」<山が哭いている>

 先日(10月20日)、北桜林業の「芋煮会」がありました。私たち新入りの3人と、これまで林業に従事されてきた先輩方との顔合わせをして、懇親を深めてきました。社長を含め、先輩方からのアドバイスは、異口同音「命にかかわる危険な仕事だから、伐採のルールを守り、安全に仕事を進めてほしい」というものでした。そして「俺は、これを守っていないときは、厳しく𠮟る!」という先輩がいました。
 私は、退職をして<アルバイト>的な気持ちがあったと思います。本業であろうが、アルバイトであろうが、仕事は命と隣り合わせ。甘い気持ちを打ちのめされた気分でした。
 そして、話が進む中で、先輩が伐採している時の自分の気持を「俺は、木を殺している」と表現されました。「何十年、何百年かかって育った木を、俺は5分もかからずに切り倒している」とも。ここに、山や木への感謝と謙虚な心とがにじみ出ています。
山が豊かだからこそ、豊かな農業が成り立っているし、魚付き林の話をするまでもなく豊かな漁業を可能にしている。もう一度、先人たちの教えを学びなおす必要があるのではないか。

一方で、10月6日に、赤倉の山奥に仕事に行った帰りに「白川ダム」の工事現場を見てきた。ただただ唖然として、呆然として立ち尽くすばかりだった。ほんの少し上流の砂防ダムと見比べ、心に浮かんだのは「山が哭いている」だった。ダムの建設の是非を言っているのではない。ダムの必要性を否定するものではないが、ダムがつくられるときには、どこの山もここと同じなのだと確信した。無告の山や木の慟哭が聞えた。

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山は命のみなもと

 楠本雅弘先生が『集落営農』(2003年 農文協)の中でこんなことを紹介している。

 「戦前の農林省では、石黒が農政課長になって以来、将来の次官・局長となるべき幹部候補として採用した事務官を、入省後二,三年目の若いうちに地方営林局へ配属させるのを慣例とした」その理由を石黒は「日本の山村では、一番下に町があり、その上に村があり、部落があり、それから3軒家、一軒家と川上へつながっている。(中略)もし一番山奥の一軒が離村すると、次の三軒家も崩れ、みんな都会へ出て行ってしまう。(中略)諸君を営林局へ行かせるのは、植林の仕方を勉強させる為ではない。国有林を将来にわたって守り育てるために、一軒家の奥にもう一軒、どうやって人間を定住させられるかを現場で研究させるためだ」(「石黒忠篤が説く山奥の一軒家の意味」)

 身近なところでは、柴田栄(戦後、第三代の林野庁長官、参議院議員)は真室川営林署に勤務し、及位村の農村更生計画を推進し、成功に導いている。

 山を守っているから下流の田畑が守られ、最下流の市街地の人々の生活が守られているのである。これは最近の災害を見ても明らかであろう。小規模の過疎集落や小規模農地は生産効率が劣る。より下流の大規模集落へ統合させ、そこに予算を投入しようーこんな現在の農政とは、まさに正反対である。

 これと全く同じ話を牧衷さん(もと岩波映画プロデューサー、シナリオライター、哲学者)に聞きました。

 <杉の伐倒作業 見事な匠の技 感動ものです> 

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私は9月から、北桜林業というところで週3回ほど、お世話になりながら、山の勉強をさせてもらっています。これから少しずつ紹介していきますが、今実感していることは、「山の豊かさ」です。まだまだ慣れないの体力的にきついのですが、まず山の木々に圧倒されます。山の息吹に心が洗われます。山の恵みを実感します。

 ぜひぜひとも山に慣れ親しんでもらいたいです。「山は命のみなもと」を実感できると思います。

※ 石黒忠篤(1884~1960):「農政の神様」と呼ばれた戦前のカリスマ官僚、農本主義農政の推進者。農政課長、農務局長、次官、農林大臣を歴任。農山村経済更生計画(戦前の農村再生策)を推進した。

農村再生の考え方 楠本先生の考え方

 9月の6日、押切さんの所で、大本教の教主の出口春日さん(第3次大本教事件で分裂。出口栄二、なおみの孫にあたる)のお話を聞いてきました。政教分離(政府と宗教の分離)について考えさせられました。

 その途中で、参加者のY谷さん(金華山ボランティアで活躍)と話をしていて、彼が大学時代、楠本雅弘先生に教わった、と聞いて話したが、「TPPに賛成してる」など大分先生が誤解されているようなので、これから少しずつ先生について書いていきます。

 先日、奥ちゃんから、メールがあり、森先生の農村再生について賛同の意見をいただきました。次の文章は、私の返信メールです。この文章から楠本先生の考え方について少しでも知って頂ければと思います。

 森先生の農村再生については、私自身、少し不満でした。それは先生自身の考えを聞きたかったのですが、最近の研究史で、お茶を濁しているからです。外発的発展論から内発的発展論への展開は、論理的な展開としては、その通りなのですが、その具体的な対策、取り組み方については、自分は専門でない(歴史家だ)からと保母武彦さんらに下駄を預けているからです。残念です。

 その意味でも、楠本さんの考え方<持続的地域社会を再生する地域営農システム>は、より現実性のある内発的発展だと思います。(牧さんや渡辺さんの評価する関 良基さんも大変近い考え方だと思います)

 その違いとは、保母さんたちの取り上げる具体例(宮崎県綾町、北海道下川町など)には、飛び抜けたリーダーの存在があったり、篤農家がいたりの特別なものです。多くの村では、週末に空いた時間を使っての兼業農家がほとんどです。そのような(強力なリーダーや篤農家がいない)村の方が断然多いのです。そのような村を再生してこそ、真の農村再生だと信じます。

 もう1点。戦前の農村更生は、<部落=顔の見える範囲とでもいえばいいでしょうか>単位です。しかし保母さんたちは現在の行政村(町)単位です。綾町でも公民館単位での話し合いを大事にしていますが、それは郷田実町長の強力なリーダーシップに負うところが大きい。特別な人材の存在がなくとも、普通の人達でで きる農村再生。これが今必要なのかもしれません。

 なんか仮説実験授業に似ていませんか?楠本さんや関さんの本を読んでいると、授業書のようにみえます。(2016.8.21)

 私は、楠本先生が<集落営農>という政府が使っている用語を使っていることが、誤解を招く原因になっているのではないかと考えています。先生自身が、集落営農ではなく、できれば「持続的地域社会を再生する地域営農システム」を使うべきなのだが、と断っています。

 ☆TPPについての楠本先生の意見「<家族農業潰し>政策にどう立ち向かうか」『規制改革会議の「農業改革」』農文協ブックレット2014.8.15

 ☆関 良基『中国の森林再生』お茶の水書房 2009.2.

 ☆仮説実験授業では、「授業書」という、教科書とノートと問題が一緒になったものを使って、誰でも(生徒も教師も)楽しく学べるようになっています。教師に対して名人芸を求めたりはしません。普通の教師がみんな取り組めるものです。

 

はちべえの森 植林作業終る

6月18日(土)、快晴に恵まれ、新庄市飛田の上野のはちべえの森の植林作業が行われ、100本の杉苗と5本のブナの苗を植えました。植林は今年で3年目。これで完了です。

 参加者、7名。この日は暑かったのですが、林の中は木漏れ日の中、快適で、作業も順調に進みました。仕事が終わって、シャワーを浴びて、そのあとは「ご苦労振り」慰労会です。ビールが最高でした。途中、N倉さんより、サクランボの差し入れがありました。

 さて「はちべえの森」について

 これは、K司君所有の裏山で、山形県林業課の公募事業に応募した際に結成し、里山の有効活用を進めています。K司君を中心に山を整備し、オリエンテーリング歩道の整備や山小屋を設置し、地域の子供たちに活動を応援しながら、森に親しむ取り組みなどを行ってきました。

 彼の活動を開始するきっかけが、とっても素敵なので紹介します。

 「結成のきっかけとなったものは…齢86歳の長老が長きにわたり荒廃した山林に<杉を植えたい>と言い出した……?(これに彼は初め反対したが) 長老曰く<若き日に自分の今の家を建てる時に山から木を伐らせてもらった。その時の木を山から貰ったとは思っていない……木は山から借りたのだ……その借りた木を山に還して自分の人生を全うしたい、その後山の木は後世の人が使うかどうか、考えればいいことだ……>こうして団体の結成に至った」

 この長老の自然に対しての謙虚な姿勢、ここにはソロバンをはじいて、損か得かの経済的合理性はありません。自然は私たちの物ではなく、預かり物なのですね。(今で云うところの「社会的共通資本」)