押切珠喜さんを囲む会 和やかな 心温まるひと時でした
12~13日、押切さんを囲む会を開催しました。
初日は、まず「Ⅰ四条畷学園での仮説実験授業」と題して話してもらいましたが、前段として、Kバちゃんから「ものとその重さ」の授業のさわりを授業してもらい、当時の授業を再現してもらいました。
次に、参加者の「資料発表」として、H君より「シャルロット・ペリアンの寝椅子の復元~ の進捗状況」について話してもらいました。Kバちゃんから30年以上続いている「F小学校と世田谷の小学校との交流事業」について。私から「山仕事・山守について」
*ペリアンは今、世界遺産に登録が決まった国立西洋美術館の設計者のル・コルビ
ジェと一緒に「シェーズ・ロング」(今でも購入できます)という寝椅子を設
計、製作した人です。
そして押切さんから「Ⅱ四条畷の教員」についてと題して、学校行事を通しての先生方の児童・生徒への支援の実際について話していただきました。押切さんの驚異的な記憶力から、当時の渡辺先生たちの熱く理想に燃える教員の姿が彷彿させられました。
ナイターは、今年の新酒のドブロク!に新米を飲食しながら、語り合いました。
2日目は、「Ⅲ 震災復興ボランティア」について。震災から5年、被災者から「もう来なくてもいいよ、と言われるまで続ける!」という押切さんの活動を紹介して貰いました。経済的にも大変なのですが、やり続けるパワーと信念! 厳しい状況になったときに、娘さんから「うちのモットーは、他人のために、尽くすことでしょう」と言われた。こんな家庭のバックアップがある事も押切さんを支えているのだと、涙を流しながら聞きました。
会の様子について、以下、Oちゃんからまとめてもらいました。感謝!!
<押切さんの会で印象に残った言葉を書き出してみました。>
・「できない」という発想で物事(社会)を見るのではなく、「どうやったらできるか」 という視点でアプローチすることをいつも考えている。
⇒プロセスを大切にする仮説実験授業を受けつづけたおかげで、「考えるクセ」を
身に付けることができた。(賢い小学生からしたら、かったるく見えた仮説のプ
ロセスも、それにはそれ相応の意味があった。多くの知識を身に付けるより、
大切な「考え方」を身に付けることができた。)
⇒四条畷学園の小学校では、一人一人を大切にする「待つ教育」も体験した。
その子が自力でクリアーするまで、下手に「助け船」は出さない。(その時は
押切さん自身、助け舟は・・・と思ったが、今になってみるとあの体験は貴重。)
・人間は持たない方が人のためにできる。 <東日本大震災の被災者を見ると、店を
すべて失った自転車屋さんは、ただ(無料)で修理をしていた。半分失った人は、
半額の値段で修理をしていた。>
・「当たり前を疑う」ことの大切さも、四条畷小の行事から学んだ。
⇒運動会の赤白に替わる「斬新」な組名<インディアンと騎兵隊>、球技大会に「パ
チンコ」を入れてみたり。
・社会が安定していているならば、「効率」を求めてもいい。ただし、ボランティア
として被災地での活動をする場合は、非常時であることが多く、「効率」を求めて
はいけない時が多い。
一見「非効率的」だとしても、善意の嵐が吹きまくるような混乱した「現場」では
「効率」について議論するより、「動き出す」ことに価値がある。
⇒また、「嵐のような善意」を差配できる人、組織、しくみが必要になってくる。
差配まで行かなくても、「話を聞く」人がいるだけでも、その場の空気が変わる。
・行政が求めるもの(コト)は、ハードルが高いケースがある。そのため、「越えら
れない」としり込みして、引いてしまう人が多いけれども、肝心なことは「反対側
に行く」こと。だったら、越えようなんて考えずに、「高いハードルの下をくぐる」
という発想の切り替え。(如何にも高いハードルを越えるのに苦労した・・・とい
うアピールしつつ・・・)
・みんなが自分にできる事、好きなことを持ち寄ったら、それだけでなんとなくうま
く回りだすことがある。⇒過去の自分の成果を語ってもダメ
・目の前にいる人が、「できなくて困っている」状況があれば、そのできない状況を
否定しても何も生み出すことは出来ない。
奥津の感想
いい会ありがとうございました。二日目の押切さんのボランティアの話は、組織論としてもとても示唆に富んでいるのと思いました。
若い市役所の方もいらしていて、「暮らしに根差した発信」に創意工夫しているこ
とも感心しました。