農山村地域経済研究所 新庄支所から

豊かな自然と宝物がいっぱいの農山漁村が、全国各地にあります。この村々を将来の世代に残そうと、一年の半分以上を農村行脚しながら、村づくりをサポートする楠本雅弘という先生がいます。これは先生の応援ブログです。

久し振りのブログです

 1昨年の11月24日以来のブログになります。どうもPCの調子が悪く、現在も不具合が続いており、そろそろ買い替えなのかもしれません。

 それはさておき、いま世界中が新型コロナに震撼しています!東京五輪もこのままでは中止か延期でしょう。麻生財務大臣が「呪われた五輪」と発言して問題になっているようですが、言いえて妙!彼がどんな意図をもって発言したかは知りませんが、私はその通りだと思います。この世界は人間がどんなにすごい科学技術など発達しても、思い通りにならないことがたくさんあるのです。おごり高ぶった人間たちに警告を発しているのです。

 復興五輪だ!とか言っても現状は見ての通り。聖火が走るのは形だけの復興の表側のみ。原発廃炉にはまだ40年もかかるというのに気楽なもんだ!被災者が戻れないような現状にしておいて、復興五輪で景気回復。トリクルダウンで被災地も潤う!これまでの政策で、地方のどこがトリクルダウンで潤ったの言うのか?被災、水害、コロナでトリプル・ダメージでしかない。

 私たちは本当に、彼らの言うトリックに早く気付かなければならない!トリクルダウン=大企業のおこぼれ頂戴で街を活性化するのではなく、自分たちの手で自分たちの町を作り上げていくしかない。俺らは乞食じゃない!

 私たちが、東日本大震災の時に気づいた「地産地消の大切さ」「スマートグリッドの重要性」「地域の絆」……。今回のティッシュペーパー、マスク不足。自分の地域で何ともできない?おかしい!(でも、山辺の縫製工場でマスクを作り始めていますね。これはいい!)震災の経験が生きていないと痛感します。   あぁ、無情(情けない)!

<中小企業振興条例を活かして地域をつくる>岡田知弘先生の講演会

 10月26日(金)に、山形県産業創造支援センターにおいて、山形県中小企業家同友会主催で上記の講演会と学習会が開かれました。
 今でもそれほど認知度が高いとは言えない「中小企業憲章」・「中小企業振興条例」について、日本と世界の政治・経済情勢から解き明かし、この条例の制定と活用により地域づくりの核にしていこうと提案するものでした。つまり
 ① 災害が多発し、さらに経済のグローバリズム化が進む一方、地方は疲弊し続けている。そうした中でも地域経済を支え続けているのは地域の中小企業(=地域社会を作り、維持する最大の経済主体)。
 ② 経済のグローバリズム化により、大企業の海外進出と輸入促進政策による地場産業農林水産業の衰退。構造改革政策による東京への富の集中と地方の衰退。さらに追い打ちをかけるような災害の連続。これまでの生活を維持できない地域の拡大⇒限界集落
  *例えば、2001年の経産省『H12年度企業活動基本調査報告書』で海外売上高を見 ると70%が東京に集中大阪府が10%程度。愛知が7%)。国税庁法人税統計」2012年版では、法事所得額が東京に49%(大阪11%、愛知8%程度)。これだけでも「東京一極集中」の意味が分かろうというものです。
  *東日本大震災にしても「惨事便乗型復興」といわれるように、国の復興資金(予算)を大手ゼネコンが半分以上吸い上げる構造です。これは何も東日本大震災に始まったものではない。阪神・淡路大震災でも、兵庫県が推計したところ、震災後二年間に集中した復興需要14・4兆円(うち公共投資三割)の90%が被災地外に流出してしまった」(岡田知弘『震災からの地域再生』2012/5新日本出版社)というように、東京の大企業が利益を吸い上げる構造なのである。

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 ③ 中小企業を主役に地域の実情に合った独自の産業政策を地方自治体が持つ時代になってきている。こうした中、「中小企業憲章」(2010/6)・「中小企業振興基本法」(2014/6)が決定・制定された。

 地域経済の主役は中小企業と農家であり、地域産業の維持、拡大が住民の生活を支える自治体の税源の保障になると指摘し、地域内経済循環の視点で、地域の宝に光を当てて地域づくりに取り組む自治体の具体例を紹介。循環経済の仕組み作りの重要性を指摘して、その際に中小企業振興条例が非常に有効であることを指摘します。

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感動の「金森幸介ライブ㏌ひやま山荘」

 10月12日(金)、赤倉温泉のひやま山荘で、押切珠喜さん主催で金森さんのコンサートが開催されました。

 金森さんのギター一本、歌も良し!ギターも良し!久しぶりに感動のコンサートでした。私自身もフォーク世代ですが、金森さんのことも西岡恭三、加川良たちと共演されていたとしか知らず、歌を何度も聞いたこともありませんでした。目の前で聞くうたは心に響き、ギターが歌っていました。私の説明など全く不要!ただただ一度聞いてほし!それだけでした。

 金森さんのことを全く知らずに聞いていた私の仲間も、私と同様の感動を覚えたようです。

 コンサートの後、懇親会でお話をさせていただきましたが、何も飾らない気さくな方で、CDなどより、コンサートを大事にされているとのことでした。

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「農村と農政を考える楠本ゼミ」参加記 2

<党派性の克服>
 先生は、一橋大学で永原慶二先生、佐々木潤之介先生、古島敏雄先生のもとで歴史学を学ばれ、戦前マルクス主義の最高の到達点である講座派の理論を学ばれた(戦前に、「日本資本主義論争」があり、講座派=共産党の理論的シンパと労農派=社会党左派の論争)。特に永原ゼミでは伝統の農村調査で鍛えられ、その後の先生の調査研究のベースとなりました。その後農林漁業金融公庫の調査部に就職。農村現場での調査・研究の中で、戦前農政の担当者・当事者である石黒忠篤、小平権一らの農政史研究することになり、視野を広げられた。
 ところで楠本先生が学ばれた先生方は講座派に属します。当時は研究者の中にも「講座派だ、労農派だ」というようなレッテル貼りがありました。*1しかし楠本先生は、講座派の中でも見解は多様で、永原先生と労農派の大内力先生との類似性を指摘します。これなどは初めてうかがうことで、自分の不勉強を自覚するとともに、楠本先生の見識の深さに驚かされます。そしてこの近代史に関わる論争を「論争のための論争」をくり返してきた。政党の介入、特にコミンテルンの影響などで学問もゆがめられた。しかし徹底的に資料を調べ、論理を構成して、相手を論破する。自分がいかに説得力を持った論証展開するかというので、学問は進歩した。と整理します。
 ただ先生の話を伺っていると、学部1年の夏に調査し、2年で学生研究誌『一橋』に応募し、入選した「農業における階層分化と共同化」という最初の論文。栗原百寿『農業危機の成立と発展』を台本にして書いたという卒論「寄生地主制下の小農経営に関する試論」からもわかるように、農業の共同経営とか、小作農民の暮らしといった農村社会の基底のところに視点があり、それを追求し続けてきた。だからこそ党派性に左右されることなく、本当に貴重な研究をつづけられ、さらに貴重な史資料の編纂を成し遂げることができたのだと思います。

*1 私も森武麿先生の研究会で勉強させていただいている時に、「俺、大島清先生のゼミに参加させてもらっている」と言ったら、仲間に「おまえは節操がない」と非難されました。(大島先生は労農派ですが、栗原百寿の最大の理解者で、栗原が49年にレッドパージで困窮し、さらに当時出した栗原理論を共産党は彼が死ぬまで非難・罵倒し、日の目を見たのは死後である。この間、大島は栗原家の最大の援助者でした。)

「農村と農政を考える楠本ゼミ」参加記


<はじめに>
 9月14日(金)、農文協会議室(港区赤坂)で行われた、第2回の上記ゼミに参加してきました。
 ここ5が月ほど、個人的な理由で、山仕事もボランティアも全くと言っていいほど何もできませんでした。その意味でも今回のゼミへの参加は、知的な刺激を大いに受けてまいりました。
 このゼミの呼びかけ人である中島紀一先生(茨木大学名誉教授)の「お誘い」の文章
 喜寿を迎えられた楠本さん。驚くばかりの博学。文字通りの碩学の人。その楠本さんから、近現代の日本の農業・農村・農政の歩みについて、縦横にお話しいただけることになりました。
  戦前から戦中へ。私たちは今、その歴史過程を、つぶさに見つめ直す時期にいると思います。楠本さんの語りから新しい認識を紡ぎだせればと期待しています。
  ぜひご参集ください。」

  考えてみると、戦後の農政と言っても70年以上も経過しているのです。今聞いておかなければ、という思いで参加しました。

<楠本先生の研究テーマ>
 第2回のテーマは「なぜ農村・農政研究を志したのか?  個人史と社会史の交錯(その2)」でした。そこでは、楠本先生の「研究史との出会い」をご自分の半生を振り返りながら、具体的に話されました。その話される内容は、驚くべき記憶力で、まさに博覧強記というべきものです。(第1回の講演記録は、事務局の方がテープ起こしをされています。また中島先生の質問も的を得たもので、私にとってはわかりやすい解説となりました)
 そこで先生の選ばれた研究テーマは、「農業経営(資金)管理論」、「協同組合」、「農業金融」そして「出稼ぎと過疎問題」。それに続く「集落営農運動」。そしてこれらの背景となる「地域史」。さらにこれらの歴史的な展開から検討する「近代農政と石黒(忠篤)・小平(権一)」、「農山漁村経済更生運動」。そしてこれらの研究の元となる「農政史料の探査収集・整理分析・保存・刊行」です。このように多岐にわたります。(先生は、これだけにとどめておりますが、実はもっともっと広範囲にわたります)
 しかし先生が上記のテーマを対象にする理由は、農を営む人々の日々の営みに始まり、彼らを取り巻く環境、そして彼らの生活を規定する行政(農政)に至るという至極当然な研究姿勢と言えます。しかし「協同組合」一つとっても、個人のテーマとしては大きいのに、と思うのは私一人でしょうか。
<問題意識>
 そして先生の研究の根底にある問題意識が、農山漁村に住む人々の生活(共同体)の再生あると確信しています。
 ある学者は「いかなる学者も<自分自身の学問が庶民にとってどのような意味をもつのか>ということを明らかにせずに研究してはいけない」(板倉聖宣=教育学者)と言います。学者・研究者と言われる人は星の数ほどもいますが、自身の学問・研究をもとに実践・活動している人はどれほどいるだろうか。
 先生が山形大学在職中に「山形県史現代編」の編纂事業が行われ、私も産業・経済部会で先生とご一緒させていただいた時、先生の博学ぶり、見識の確かさに驚嘆し、本当に失礼な質問をしてしまった。「なぜ先生は、これらのことを論文として発表されないのですか」と。しかし先生はその頃より(それ以前から)農家の経営相談、農山漁村の再生のための全国行脚をしていたのです。
 問題意識とは何かということは、学問はどうあるべきかということであり、弁証法・認識論の問題でもあります。つまりどういう問題意識を持つかによって、農村・農政に対する認識も異なってきます。また組織論・運動論も同様です。農民たちと乖離した意識で運動を進めようとしても、農民はついてきません。またその運動も成功はしません。一人一人が判断できるよりどころを示さなければついてこないのだと思います。「行方 見えねば 人寄らず」(牧衷)です。       (つづく)

 *次回は、<党派性の相克>ないしは<党派性を超えて>から。

石巻 雄勝ローズファクトリーガーデン訪問報告

 5月3日、石巻市雄勝ローズファクトリーガーデンを主宰する徳水博志さんを訪ねていきました。

 途中、阿部勝子邸(ボアランティア・センター=VCの基地)に立ち寄ったら、偶然にも益田文和先生がおり、金華山の鹿の角を使っての「土産物つくり」をしておりました。

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 この日は海が荒れて金華山行きのフェリーが欠航とのこと。後でいつもの山谷君、旅の旅行社の竹島さん、最後に押切さんが8名くらいのボランティアの人を連れてやってきました。私は、阿部勝子さんにきな粉餅をごちそうになり、娘さん・お孫さんと若干お話をして、女川に向かいました。女川はゴールデンウイークということもあり、駅前の復興商店街は賑わいを見せていました。

 

 昼食を済ませ、雄勝に向かいました。午後2時前に「ローズファクトリーガーデン」に到着。徳水さんはお話の準備をして待っていてくれました。

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 私が徳水博志さんを訪ねたのは、2012年8月、宮城県気仙沼市での朝日カルチャーセンター主催の集会に参加しました。その時の講演者の中のお一人で、ご自身も被災しながら雄勝小学校での「復興教育」で優れた教育実践をされた報告をしてくださいました。(⑴)それに感動し、なんとかお会いしたいと出向くなどしたのですが、ご病気や会社設立のため、多忙を極めており、機会を得ることができず、この日となりました。
 

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最初に挨拶代わりに、「震災から7年が過ぎて、ボランティア活動の在り方にも大きな変容がある。今、被災地に必要なボランティアはなんなのか。」とお尋ねしました。
それに対して、徳水さんは、自分の実践を示しながら教えてくださいました。
<自らも被災し、義母をなくしながら、教員として「復興教育」を提唱して、実践したこと。一方、奥さんが実家のあった場所に母の供養のため花を植えたこと。そして児童の教育活動=雄勝復興のプランの中に花壇整備が計画され、これがローズファクトリーガーデンを作るきっかけになったこと。関係性を喪失した被災地で、復興に関わることで関係性の再構築しつつ、真の被災地の復興(真の復興とは、人間性の復興である>に取り組んでいること。そして地域を愛する人々が地域の変革の主体者となること。また現在は、ローズファクトリーガーデンを活動拠点として、一般社団法人(非営利)「雄勝花物語」を設立し、イデオロギーよりも雄勝を愛するものを大事にして、彼らをすべて巻き込みながら復興事業を展開していました。(⑵)>

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 お話を伺って、震災からの復興と農山村地域の再生は、基本的の同じであることを確認できました。そして楠本雅弘先生の訴え続けてきた<持続的地域社会を作っていく「地域営農システム」論>と通底していることを確認できたことは、大きな収穫でした。

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⑴ 徳水さんの講演の内容は、大門正克・岡田知弘他編著『生存の東北史』(大月書店 2013年)
⑵ 前掲書。岡田知弘『震災からの地域再生』(新日本出版社 2012年)。福田徳三『復興経済の原理及若干問題』(1924年)。そして、今回のお話のもとになるのが、徳水さんの『震災と向き合う子どもたち』(新日本出版社 2018年)です。

3.11 東日本大震災の風化を防ぐ!  「語り継ぐこと」「語り続けること」の意味

 東日本大震災から7年が過ぎました。本当に早いものです。このブログの最初の記事として「人の記憶は時間とともに薄れ、どんな大きな歴史的な事実も風化していく。これを防ぐためにも私たちには歴史を正しく伝えるとともに、繰り返して語り継ぐ責務があるのだと思う。」と書いた。簡単に「語り継ぐ」と書いたが、このことについて昨年末、1冊の本に出合い、再考させられた。
 昨年末に、大門正克著『語る歴史、聞く歴史』(岩波新書2017/12)を著者からいただいた。

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 本書は「主に明治以降から現在に至る日本の近現代を対象にして、語ること、聞くこと、叙述することの歴史に照準を合わせた本」である。是非ともお勧めしたい本である。
 取り上げられているのは、幕末維新の回顧録、『福翁自伝』、篠田鉱造『百話』、柳田国男瀬川清子民俗学沖縄戦東京大空襲などの戦争体験、植民地からの強制連行、女性の農家や炭鉱労働者の労働や生活の記録などだ。
 新書であること。また歴史と銘打っていることなどから、量は限られマスコミ、インターネットなどメディアへの言及などは割愛されているが、著者のこれまでの問題関心に沿って、わかりやすく整理されている。例えば聞く側の行為としてのask, listen, take というふうに分類している。

 ここではaskと listenについて考えてみたい。話は少し長くなるが、本書の中でも取り上げている大門著『戦争と戦後を生きる』(小学館2010年)に感想を書いた。

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 満州からの引揚者の話の中で、筆者(大門さん)はある女性が引き揚げの途中に暴行されそうになり、その女性が「<商売>の女性に(自分の身代わりを)頼んだ」という話を聞く。しかし「なぜ頼んだのか」は聞けなかった。この点について「聞けなかったのは、研究者としては甘さがあるとの指摘を受けても仕方あるまい」と指摘した。
 その時は、「なぜ<商売>の女性に頼んだのか」は、核心だし、だれもが聞いてほしいことではないのか。そこまで話してくださったのだから、もう一歩踏み込んでも良かったのではなかったか。と思ったからです。
 でも、この本を読み考えてみた。その場で私が聞き取りをしていたら、彼女は、この事実を語らなかったでしょう。大門さんにこの事実を語る前に、新聞記者からも取材を受けていたが、「そんときはあんまり話さなかった」と語っているように、聞き役に徹することなく、何かさらに新しい事実を求めるような下心があるようでは、自分から話すことはなかったでしょう。私たちは、語る人の体験が重ければ重いほどに徹底的に寄り添うことしかできないのだと思う。
 大門さんは、体験を聞く歴史が成立する条件を次のように整理しています。
(1) 語り手と聞き手の信頼関係のあり様
(2) 聞き取りが成り立った条件、場についての自覚
(3) 先入観を捨てて語り手の語りに耳をすます
(4) 語りの意味を考え、聞き取りを叙述してかたちにする

 私にとっては⑴の信頼関係を築けたとしても、⑵から⑷が難しい。
「戦争体験を受け継ぐ、受け渡す」の中で、橋部さんの、聞き手が心がけることは「語り手を誘導することは避けて」、「語り手の<まるごと>の生き様」を聞くこと、という話や広島市立基町高校の取り組みを知り、私としては救われる思いでした。
 高校生たちは被爆者と何度も会い、何度も話を聞き、試行錯誤を繰り返しながら絵を描いていく。そして高校生が「やっぱり、証言者の方はなくなっていくと思うんですけど、その証言者の方の思いをどんどん重ねていったら、証言者以上のその重さが、どんどんどんどん増していくと思うんで、(――そうだよね)はい。だから、(被爆者の方が)いなくなられても、継承していくことは意味があることだと思います」と感想を述べている。(小倉泰嗣「被爆体験をめぐる調査表現とポジショナリティ」2013年)。

 東日本大震災の風化が進んでいることを肌で感じている自分としては、聞き手として心がけることを念頭において、語り手に思いを重ねていくことで「語り継ぐこと」「語り続けること」が可能になるのだと思います。この重要性を忘れずにいたいと思います。直接向き合う聞き取りには、この可能性があるのですね。いや、これしかないのだと思います。