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農山村地域経済研究所 新庄支所から

豊かな自然と宝物がいっぱいの農山漁村が、全国各地にあります。この村々を将来の世代に残そうと、一年の半分以上を農村行脚しながら、村づくりをサポートする楠本雅弘という先生がいます。これは先生の応援ブログです。

手仕事 てしごと 「豊かさ」ってなんだろう? 5

 ☆結城登美雄さん講演「てしごと ―過去から未来へつなぐ―」
 結城さんは、いつものように優しく軽妙な語り口で、農家の手仕事の歴史やその意義について、わかりやすくそして、若手の報告者の実践を引き合いに出しながら、手仕事を引き継いでいく意味を話してくださいました。講演の中で伸一君に話を振り、こんな話を引き出しました。
 高橋伸一さんが、藁細工を老人に教えてもらいに行ったとき、奥さんのおばあさんに、「なんでこんなもの習いに来るんだ」「こんなもの、100均(100円ショップ)行くと、もっと良い物ある」と言われたそうである。
 みなさんはどう思いますか?
 もしかしてこれに対する答えが、手仕事を引き継いでいく意義を教えてくれるのかも知れません。
 結城さんは、この話に対して、山口弘道(積雪地方農村経済調査所=雪調の初代所長)『雪と生活』(財団法人農林協会1953年)から、次のような話を引用しながら、見事に答えてくれました。少し長くなりますが、お付き合いください。
 かつて私が、雪調所長として在任中のころ、民芸運動、すなわち柳宗悦氏、河合寛次郎氏、浜田庄司氏などが提唱され活動されていた伝統的民衆工芸品の維持発展の運動を、雪国の東北地方に起すべく、右の三氏を煩して実地調査に行ったのであった。あるとき積雪に埋もれた山形県の一農村を訪れ、某農家に休んだことがある。爐には(中略)薪が赫々と燃えていた。そのとき、爐にあたっておられた河井氏が天井を仰いで突然嘆声を発したので、私も驚いて見上げた。そこには刈りとられた稲の束が天井一杯に房々と吊され、まるで藤棚のようであった。そのとき河井氏の言葉はこうであった。「なんという豊かさであろう!」と。私は静かにその言葉を味わった。そして濶然と自分の眼が開けたように感じた。従来、私は雪国の農村の生活の不合理と非衛生的な面のみを見てきて、その住民の不幸に同情し、なんとかしてこの不幸から農村を救わなければならないと考えてきたのであるが、かかる客観的の味方の半面に、農民自身の考え方、すなわち、主観的な面についてあまり考えを及ぼさなかった。否、農民も私と同様に考えているというようにきめていたのである。(中略)何もこれは「稲の天井」だけの問題でなく、農民が自分の手で作ったものを自分の生活の用に供している自給自足の生活の中には、けっして少なからざる農民の愉悦があるのであった。
 これをお読みになって、どう思われますか?山口は、昭和恐慌や度重なる凶作や大地震によって疲弊した農村を目の当たりにして、貧しく非衛生で、東京などに比べたら比較にならないほど遅れた生活をしている可哀想な農民に同情して、救おうとしていたのです。そこで河合の言葉に開眼!百姓の生活にある真の豊かさ、愉悦に気づくのである。
 戦後、雪調を退官した山口は、帰農する。穿った見方をすれば、東京帝国大学出の超エリートである(戦前の帝国大学出は、今の東京大学とは比較にならないほどでした)彼は、普通に考えれば、大学の教官でも大企業でも道はあったけれど、彼の選んだのは「真の豊かさ」を実現するための百姓だった。とも言えそうである。

 実は私は、この山口の『雪と生活』を読んでいましたが、結城さんに指摘されるまで、この事に気づきませんでした。(読めども、読めず あぁ無情=情けない!!)ありがとうございました。   (完)

手仕事 てしごと 「豊かさ」ってなんだろう? 4

 ◇米澤里奈さん「大江町における青苧のとりくみ」
  『青苧(あおそ)』は、イラクサ科の多年草。江戸時代には最上川舟運で各地へ運ばれ、高級織物の糸として、武士の裃や富裕階級の単衣などに使われていた。県内では、置賜村山地方などで主に栽培され、中でも大江町産は良質とされ、松山藩「第1の産物」され、町は大変賑わっていたそうだ。しかし、明治以降は養蚕が盛んになり、青苧栽培は衰退。今は雑草扱いだそうである。(大江町HP)
  米澤さんは、町おこし協力隊として青苧の復活に取り組み(青苧復活夢見隊)、現在商品化に取り組んでいる。

 今回のお話を聞いて私は、農村や農民の普通の生活の中に宝物がある事を知らされました。「その事に気づかなかった」ではなくて「気づこうとしなかった」のですね。

<つづく>

手仕事 てしごと 「豊かさ」ってなんだろう? 3

 ◇金寛美さん「舟形焼きと長沢和紙」
  大学時代から取り組んでこられた陶工から、自分の住む舟形で発見された「縄文のビーナス」に触発され、縄文土器を現代に蘇らせた「縄文の七輪」。そして800年の歴史を持つと言われる舟形の長沢和紙は安いパルプ紙の普及により販路が断たれ、楮の確保困難から昭和39年に一時途絶えました。これを復活させたのですが、その後継者不足から再度、消滅の危機にあります。これを今引き継ごうとしています。

LEXUS NEW TAKUMI PROJECT縄文七輪

長沢和紙 小学生の体験学習から(舟形町HPから)

<つづく>

手仕事 てしごと 「豊かさ」ってなんだろう? 2

 ◇高橋伸一さん「工房ストローの一年」
  20年ほど町役場職員として活躍の後、昨年退職、帰農した。これまでの農家の日々の生活の中に価値を見出し、その中で藁細工もその一つ。彼の生き方にも感動しました。

 藁細工の多様さに驚くとともに、その芸術性にも驚かされます。右は「ホタル籠」、結城さんによるとこれとほぼ同じようなものが韓国にもあるそうです。韓国ではヨチチブ=「キリギリスの家」と言うそうです。民芸の普遍性を感じます。

<つづく>

手仕事 てしごと 「豊かさ」ってなんだろう? 1

 3月25日(土)に開催した「雪調に学ぶ会 第7回」には、約90名の参加を得て、盛会のうちに終りました。
 今回は、手仕事に携わる4名の若手の実践報告と民族研究家の結城登美雄さんの手仕事に関する講演、そしてこの5人によるパネルディスカッションでした。
 ◇コミューンアオムシの星川一宏さん。「ペリアンの寝椅子の復元経過について」
  1940(昭和15)年に輸出工芸指導者として来日し、新庄・最上の農民に作成依頼したとされる(不明な点は多いのですが)「シャルロットペリアンの寝椅子(実物は現在山形県立博物館に所蔵)」を現代に蘇らせようとする取り組みです。全然古くないですね!!


寝椅子(1941):これを復元しようとしています。

竹製シェーズ・ロング(1940)

シェーズ・ロング(1928) 寝ているのはペリアンです。

<つづく>

内側からの農村再生を!!  森先生からの贈り物

 昨年の8月6日に、私たちが行っているサークル「ゆかいな勉強会」で、私の恩師、森武麿先生が講演してくれましたが(その報告は、以前ブログに書きました)、その時の講演のレジュメを元に原稿化してくださいました。

 「戦前農村経済更生から現代農村再生へ ―農村経済更生運動の歴史的教訓ー」(2017年2月 『歴史と民俗』神奈川大学日本常民文化研究所論集33)

 論文の「要旨」の部分を紹介します。

 「戦前農村更生は上からの農村再生(国家主導型)、外からの農村再生(外発型)であった。この弱さが農民を戦争とファシズムの道に導いた。現代の農村再生は下からの農村再生(自治型)であり、内からの農村再生(内発型)であることが求められる。すなわち「上から」と「外から」の農村更生から、「下から」と「内から」の農村再生に転換しなければならない。特に思想転換は、戦前の農本主義を克服し閉じた共同体から開かれた共同体へ、持続可能な地域社会、都市住民の田園回帰も含めた都市と農村の共同社会の建設が目標であろう。」

 当日は、簡単なレジュメを準備するとの事でしたが、12ページにもわたるもので、到底2時間の講演では終わるものではなく、場所を居酒屋に変えて、私達と語り合いながら、本当に熱のこもったお話をしてくださいました。

 興味を持たれたら、お読みください。農山村の再生を考え、実践していく参考書にしていただけたら嬉しいです。

お知らせ 「第7回 雪調に学ぶ講座」

 私の住む新庄には、<セツガイ>または<セッチョウ>と呼ばれる風変わりな建物があります。この建物は、建築学者考現学(考古学に対する)の提唱者として知られた今和次郎が設計し、1937(昭和12)年に建築されたもので、「農林省積雪地方農村経済調査所」と言いました。現在は「雪の里情報館」として保存・活用されています。

 昭和農業恐慌、度重なる凶作などで疲弊・窮乏していた東北(積雪地方)の農山村の調査・研究・指導機関として設置されたものです。

 この施設に数多く残る遺産を見直し、活用することで私たちの住む東北の農山村の再生について、考えていきたいと活動しています。

 興味を持たれたら、是非参加してみてください。交流会では、最高の米、最上の郷土料理、そして最高のドブロクも飲めますよ!!!