農山村地域経済研究所 新庄支所から

豊かな自然と宝物がいっぱいの農山漁村が、全国各地にあります。この村々を将来の世代に残そうと、一年の半分以上を農村行脚しながら、村づくりをサポートする楠本雅弘という先生がいます。これは先生の応援ブログです。

板倉聖宣先生が亡くなりました―合掌

 2月7日、仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さん(1930~2018)が87歳で亡くなりました。
 私が板倉先生を知ったのは、川越商業高校で非常勤講師をしていたころ1984(昭和59)年ころ、森下健七郎さんから、その存在を教えていただき、川越女子高での講演会で初めてお話を聞きました。
 山形に戻り、就職が決まり「山形仮説サークル」に参加しながら学ばせていただきました。その頃、理科の授業書だけでなく。社会の科学の授業書も書かれていました。『日本歴史入門』『禁酒法と民主主義』などです。その中でも秀逸なのが『生類憐みの令』でした。でも私は仮説実験授業研究会の会員にはなりませんでした。板倉先生の「ヒューマニズムをもとにした徹底した子供中心主義」という考え方には共感しつつも会員(規則は本当に緩いもので、ほとんど制約されることはありません)になることで、自分が見えなくなるのでは、という不安からでした。

 歴史学を勉強してきた自分としては、『歴史の見方考え方』『日本史再発見 理系の視点から』などを読み、これまでの歴史学を覆してくれるほど刺激的な本でした。しかし残念なことに板倉先生の著作への反応はありませんでした(もしどこかの歴史学会で、批判とか書評などがありましたら、教えてください)。

 板倉先生は民主主義を決して否定はしていませんが、「民主主義は、もっとも恐ろしい奴隷主義になりかねない」ということをくり返し強調していました(牧衷さんも同様)。そして「自分の善意だけを信じて、結果に盲目な人ほど恐ろしい人はいない」とも言います。そして、「自分たちの善意を大切にしながらも、たえずその善意によってしたことの結果を実験的に確かめながら生きることのできる人だけが、今後の世の中を明るくすることができるのではないか」と。そして今後の社会は「自分の判断を仮説とし実験的に確かめつつ生きていくよりほかない」と(『いま、民主主義とは』)。今の日本の政治状況を示しているようで怖いのですが。

 

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牧衷さん(1929~2015)と同様に板倉先生の言葉を大切にしながら、生きていきたいものだとしみじみを思いました。合掌。