農山村地域経済研究所 新庄支所から

豊かな自然と宝物がいっぱいの農山漁村が、全国各地にあります。この村々を将来の世代に残そうと、一年の半分以上を農村行脚しながら、村づくりをサポートする楠本雅弘という先生がいます。これは先生の応援ブログです。

3.11 東日本大震災の風化を防ぐ!  「語り継ぐこと」「語り続けること」の意味

 東日本大震災から7年が過ぎました。本当に早いものです。このブログの最初の記事として「人の記憶は時間とともに薄れ、どんな大きな歴史的な事実も風化していく。これを防ぐためにも私たちには歴史を正しく伝えるとともに、繰り返して語り継ぐ責務があるのだと思う。」と書いた。簡単に「語り継ぐ」と書いたが、このことについて昨年末、1冊の本に出合い、再考させられた。
 昨年末に、大門正克著『語る歴史、聞く歴史』(岩波新書2017/12)を著者からいただいた。

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 本書は「主に明治以降から現在に至る日本の近現代を対象にして、語ること、聞くこと、叙述することの歴史に照準を合わせた本」である。是非ともお勧めしたい本である。
 取り上げられているのは、幕末維新の回顧録、『福翁自伝』、篠田鉱造『百話』、柳田国男瀬川清子民俗学沖縄戦東京大空襲などの戦争体験、植民地からの強制連行、女性の農家や炭鉱労働者の労働や生活の記録などだ。
 新書であること。また歴史と銘打っていることなどから、量は限られマスコミ、インターネットなどメディアへの言及などは割愛されているが、著者のこれまでの問題関心に沿って、わかりやすく整理されている。例えば聞く側の行為としてのask, listen, take というふうに分類している。

 ここではaskと listenについて考えてみたい。話は少し長くなるが、本書の中でも取り上げている大門著『戦争と戦後を生きる』(小学館2010年)に感想を書いた。

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 満州からの引揚者の話の中で、筆者(大門さん)はある女性が引き揚げの途中に暴行されそうになり、その女性が「<商売>の女性に(自分の身代わりを)頼んだ」という話を聞く。しかし「なぜ頼んだのか」は聞けなかった。この点について「聞けなかったのは、研究者としては甘さがあるとの指摘を受けても仕方あるまい」と指摘した。
 その時は、「なぜ<商売>の女性に頼んだのか」は、核心だし、だれもが聞いてほしいことではないのか。そこまで話してくださったのだから、もう一歩踏み込んでも良かったのではなかったか。と思ったからです。
 でも、この本を読み考えてみた。その場で私が聞き取りをしていたら、彼女は、この事実を語らなかったでしょう。大門さんにこの事実を語る前に、新聞記者からも取材を受けていたが、「そんときはあんまり話さなかった」と語っているように、聞き役に徹することなく、何かさらに新しい事実を求めるような下心があるようでは、自分から話すことはなかったでしょう。私たちは、語る人の体験が重ければ重いほどに徹底的に寄り添うことしかできないのだと思う。
 大門さんは、体験を聞く歴史が成立する条件を次のように整理しています。
(1) 語り手と聞き手の信頼関係のあり様
(2) 聞き取りが成り立った条件、場についての自覚
(3) 先入観を捨てて語り手の語りに耳をすます
(4) 語りの意味を考え、聞き取りを叙述してかたちにする

 私にとっては⑴の信頼関係を築けたとしても、⑵から⑷が難しい。
「戦争体験を受け継ぐ、受け渡す」の中で、橋部さんの、聞き手が心がけることは「語り手を誘導することは避けて」、「語り手の<まるごと>の生き様」を聞くこと、という話や広島市立基町高校の取り組みを知り、私としては救われる思いでした。
 高校生たちは被爆者と何度も会い、何度も話を聞き、試行錯誤を繰り返しながら絵を描いていく。そして高校生が「やっぱり、証言者の方はなくなっていくと思うんですけど、その証言者の方の思いをどんどん重ねていったら、証言者以上のその重さが、どんどんどんどん増していくと思うんで、(――そうだよね)はい。だから、(被爆者の方が)いなくなられても、継承していくことは意味があることだと思います」と感想を述べている。(小倉泰嗣「被爆体験をめぐる調査表現とポジショナリティ」2013年)。

 東日本大震災の風化が進んでいることを肌で感じている自分としては、聞き手として心がけることを念頭において、語り手に思いを重ねていくことで「語り継ぐこと」「語り続けること」が可能になるのだと思います。この重要性を忘れずにいたいと思います。直接向き合う聞き取りには、この可能性があるのですね。いや、これしかないのだと思います。